広島県廿日市市の極楽寺山百回登山へようこそ
会員レポート 2011



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01/07 初詣ウォーク 01/11 大峰山 01/25 深入山
02/02 大峰山 02/02 先峠山・三ツ丸子山・大江山 02/08 焼山・駒ヶ林
02/23 文珠山・嘉納山・嵩山
03/01 鉾取山・原山・洞所山   03/07 玖波行者山   03/13 小田山
03/30 白木山
04/03 宗箇山 04/11 高山 04/20 福智山・久留米マーチ
04/23 吉野山縦走        
05/04 岩淵山・感応山 05/09 窓ヶ山 05/09 寂地山・額々山・後冠山
05/16 窓ヶ山   05/23 窓ヶ山   05/25 五里山
06/07 黒滝山・白滝山 06/27 旧羅漢山・恐羅漢山
07/04 焼山・駒ヶ林・弥山  07/11 烏帽子山・吾妻山・御陵 07/19 三鈷峰
07/27 槍ヶ岳 南岳
08/08 恐羅漢山 ・砥石郷山 08/29 甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳 08/29 岩樋山・道後山・多里大山
09/06 三倉岳・瓦小屋山 09/12  大万木山 09/26  大野権現山
10/03 天応烏帽子岩山 10/03  船倉山 10/11  窓ヶ山
10/11 冠岳   10/18 十方山   10/18 大野権現山
11/14 聖山・高岳   11/21 沼長トロ山   11/28 西大峰山・大峰山
11/28 弥山        
12/13 天上山    12/27 鈴ヶ峰〜己斐峠    





 11/12/27 広島南アルプス(の3割位)縦走 g733
 12月24、クリスマスイブだが誰もプレゼントはくれない。まぁ私は一応仏教徒らしいので、しかたないか。
中部地方には3,000m前後の山が連なる南アルプスが有るが、広島にも本場より少〜し低くて短い南アルプスが有り、3年前に武田山から縦走して草津沼田道路でもう嫌になったが、なんとか薄暗くなって鈴が峰にへろへろでたどり着いた。
今回、鈴が峰から大茶臼山まで縦走後に、気分で宗箇山か小茶臼山まで行く計画で、3人でJR井口駅から出発する。
鈴が峰に着く、陸軍省石碑が有るが(これはその後二つ位見た)、これも負の遺産というべきか。私は今では立派な軟弱者だが当時は虚弱者だったので召集を免れて、今も生き延びているのであるが、NHKの連ドラの「カーネーション」が当時の時代を放映しているが厭戦的気分のシーンが多い。
鈴が峰から鬼ヶ城山に向かう。途中で道の枯葉を掃除している方がいる。どうもご苦労様です。
鞍部の道行地蔵を経て八畳岩に着き展望後、鬼が城山山頂で昼食を摂る。
寒いので腹が暖かくなる飲料を飲み、のんびりと食事をしたら1時を過ぎた。まだ先は長いのに計画性の欠如が如実に・・・。
柚木城山に向かう。草津沼田道路に出て対面の階段を登るが、長い! 長すぎるな〜。分岐が表れる、右は315峰を通り左は巻道だ。
右に向かう、315m峰は海側の木が切られていて展望が開け、見越山と書かれた山頂碑が立っている。
ここから己斐峠に下る時に分岐が有り、左に高圧線鉄塔があったので保守道だと思って、右に五分位下ったらシダ藪道になり、古いテープは有るが廃道ぎみだ、地図を見ると間違っていた。無駄に登り返すのはなんともとほほだ、気分が消耗するね。
己斐峠に出たら3時30分過ぎだ、国泰寺前のバス停で時刻表を見ると40分後に来る。同行の「初志貫徹」を唱える人が、断固大茶臼山へ行くと言うので登りかけるが5分位登って山頂が見えたら結構先で、しかも大粒な雪ががんがん降りだしたので引き返す。
「初志貫徹」の人も引き返す。志は低かった。
どうも忘年登山がこれでは締りがなかったなぁ。
ボンバスで西広島駅まで帰る。ボンバスは初めて乗ったけど料金は私が居住する地域の100円均一のローカルバスと違って距離制で210円だった。

     
 ぼけ封じ地蔵  みっきぃ地蔵  道行地蔵





 11/12/13 天上山 g732
 12月11日、4人で広島市湯来の天上山へ筒賀から登り湯来に降りる。車2台で出発し1台を下山口の天上山林道の煤井谷のお宮に置く。天上山林道は以前は県道からの入口に大きな看板が有ったが、無くなっていてちょっと迷ってしまった。
他の1台で登山口の龍頭峡に向かい途中の産直野菜店で買い出しをする、売り場の人がまだ熊がいるので気を付けんさいと言われたが、遠景の山に雪が見えるので、もうこの時期にそれは無いだろうと思ったが一応鈴は持って来ているのでまぁ大丈夫。
筒賀の龍頭峡は20世期に来て以来16年振りだ、景観・施設・登山道も全く記憶にない。時期的なものか閉鎖されている様な施設もあるが、岩の絶壁の光景は素晴らしい。奥の方の駐車場に停め「渓流の小径」の標識から川を渡り車道の反対側道を進み砂防堰堤手前で川原を右に渡り、急登を進み、堰堤上から崖っぷちの道を進む、随所に手すりが付いた丸太や金属の橋が架けられているが、どれもよく滑る。砂防堰堤の上部の砂が埋まった谷間を進むと右手に急なナメラが見えるがこれが「ささやきの滝」か。ここから左へ金属の階段を登って少し行くと引き明けの森。巨木が多いが圧倒的に針葉樹が多く広葉樹は少ない、来る道中に何個も炭焼窯跡が有り、昭和25年頃築窯と表記してある窯跡もあるので、当時の家庭の燃料の主流は薪・木炭だったので、広葉樹は炭になってしまったのだろう、広葉樹は全て落葉していて空間が明るい。
「悠久の森」の石碑がある林道へ出て、積雪2cm位の植林山の中を山頂に向かう。
12時過ぎに山頂に着く。天上である、972mが天上なら天というのはどれくらいの高さを言うのかな。
芸北の方面は白いけど雪が降っているのか。山頂で昼食を摂るが寒い、手が冷たい、ゆっくりと食事する気にはならない。
食後、湯来方面へ下る、南面なので雪は無い。口に笛を咥えた人が登って来る、やはり熊はまだ冬眠に入っていないのか。国体コースを登ろうとしたけど大藪なので煤井谷から来た様な事を言われていた。
天上山林道へ出て煤井谷へ向かう。出会った方が笛を吹きながら早々と降りて来る。2時30分に煤井谷に着く。こちらは3年振りなので多少は記憶が有る。
川を石伝いに何回も右へ左へと渡る。狭い谷沿いを下ればよいので道に迷うという事は無いが、親切なのかおせっかいなのかテープ・紐がやたらに有りすぎて渡る箇所に迷う。水量の加減で渡渉箇所が変わるのか。
丸太の橋は3年前には3本で組んであったが、今は2本で中が無くなっていて怖くて渡れるような物で無く橋の下を潜る。
3時30分に駐車地のお宮に到着。
登山時は樹木に感動し、下山路は渓谷の水の美しさに感動する。
龍頭峡の車を回収し戸河内から高速道で帰宅する。

     
 絶壁架橋  耳を澄ませば・・  山頂
 
 通行不可丸太橋  エメラルドグリーン  やや難儀
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 11/11/28 大砂利から弥山 g731
 11月27日、3人で宮島へ。博打尾根から大砂利に下り、奥ノ院・弥山に登る計画だ。大砂利に下るのは05年・昨年春以来3度目だ。
8時20分宮島桟橋を出発する、時間が早いのであまり人はいない。
まことホテルから博打尾根に向かう。大砂利分岐から大休みを経て、9時30分に大砂利地蔵に着く。ここまではよく整備された道だ。
自然石の2体の地蔵さんにはワンカップ酒・缶ビール・落雁・ロッテコアラのマーチがお供えされていたけど、地蔵さんは辛党なのか、甘党なのか。次回来る時のお供えの好みを聞いたら「どっちも好きだ」。
地蔵さんから暗いシダ藪荒道で、ナメラを通る箇所以降で道を迷った。
10時30分に最初の農園フェンスに出るがフェンス沿いの道はシダでふさがっている。
大砂利海岸に出ると車が4台停まっていいるが、この日は宮島をよく歩かれる会の人たちが、ここから奥ノ院へ登る日なので、その人たちの車であろうか。
11時前で昼食には早いけど、ここ以降には食事を摂るのに適した所は無いようなので、砂浜に出て目前を航行する船を見ながら昼食。
食後、出発し農園の鹿等避けのフェンスの門を開けて通らせていただく。中のお宅の犬が吠えてくるが、私が善人だと理解したのか、笑顔になった。
農園内には柑橘類がたくさん生っていて、突き当りの出口の方で農園主の方が大根を取り入れされていて、昔は奥ノ院から迷って降りてくる人もいる位良い道だったと話していられたが、まぁまぁの荒れ道だ。。
11時30分、谷沿いを奥ノ院へ向けて登る。赤テープも多いし先行された人の足跡も有るので迷うことは無い。
1時前に多々良林道終点地に出て、奥ノ院に参拝し御山神社に向かう。
御山神社では1人しか見なかったが、本堂・霊火堂ではたくさんの観光の方がいる。
しかしここの境内には変な物が増えたな。まぁ宮島は神の島というよりは観光の島だからね。
神・仏は人間が発明した最高のものだな、昔から政治も経済も文化も全てに関わっている、そして戦争にも。
弥山に登り、四宮ルートを下り紅葉谷で紅葉見物をする。紅葉はパッとしないけど人は盛り沢山。
商店街も大人出、経済の活性化で良いことだ。私は船賃と電車賃のみで経済振興に寄与しなかった、申し訳ない。
桟橋に向けて歩くがものすごい人だ、正月より多いのではないか。4時に船に乗り本土に帰る。

 
 大砂利地蔵  シダ藪道 大砂利農園
 奥ノ院谷  奥ノ院境内  環境庁設置物
   
 霊火堂=Lover's Suncutuary  サンタが山にやって来た  紅葉谷





 11/11/28 西大峰山・大峰山 g730
 このところ週末・祝日には雨になるという、悪いパターンが続いていたが、この週末は土日とも良い天気予想だ。
11月26日、3人で旧佐伯町の大峰山・西大峰山に行く。
大峰山は時々行くが、西大峰山は03年に2人で大峰山からピストンで行き、倒木・笹藪・霧で迷って、えらく怖かった。
次は05年に上川上へ下るコースを4人で行き、大台風の後で倒木が沢山あり、谷を下る箇所には湿地箇所も多く難儀をした思いがある。
今回は迷わないようにしっかりと地図・コンパス・ガイドを持ってくる。
大峰山登山口に駐車する、この辺りはもう結構霜が降りている、側の七尋淵には河童(エンコウ)が住んでいるらしいが、さぞかし寒いことであろう。
9時出発し車道を奥へと進み、久島川上バス停の三叉路で、すぐ側の家のおばあさんに道の確認の為に尋ねる「こっちからよう人が降りて来んさるでー」はい有難うありました。9時30分にツヅラガ谷登山口から植林山の谷沿を登る。
15分進んで7人墓が現れる、7基有るのかと思っていたが1基だけだった。
谷道は植林地帯が多くて暗い所が多いが、道は笹も灌木もきれいに掃除されていて、倒木もなく歩きやすい。
11時縦走尾根に着く。シロモジやブナなどの樹木は全て落葉していて、風景が明るい。
15分で西大峰山頂に着き昼食を摂る、他に誰もいなくて快適だ。
12時30分、大峰山に向かう途中で10人位出会う、大峰山頂には人が沢山いると言われていたが、2時に着くと貸切だった。
広島市からは最近場の独立峰だ。山頂からは360度遠望が利き、瀬戸内海から中国山地までよく見える。
今回は何年か振りに湯来側の祠・休憩所まで行ってみることに。以前、山頂付近からロープが有ったが場所が分からず、道を下ると山頂岩直ぐ近くに新しいロープと縄梯子が掛けて有るのが見えた。こちら側は北面なので雪が薄っすらと残り、岩からは長い物で60cm位の氷柱がぶら下がっている。
休息小屋が有るちょっとした広場で祠の仏像にお参りする、なぜかここに「→湯来温泉」の看板、綱引きに使うような太いロープが有る岩に登る。
帰路、山頂に掛かる梯子を登る、丸い塩ビパイプ製なのでよく滑る。
大峰ランドへのコースを下る、あまりきれいでは無いが、五合目位から紅葉になる。駐車場に帰着すると4時だ、出発から7時間、消費無し経済効果無し。安い・長い・満足

     
 7人墓  快適縦走路  峰太郎ブナ
   
 女鹿平スキー場  2尺級氷柱 割と新し祠 
 
 塩ビパイプ縄梯子  05年時縦走路 05年時縦走路 





11/11/21 沼長トロ山 g729 
 このところ平日は天気が良いのに週末になると崩れるというパターンが続く、アウトドア計画がある人は予定がつぶれ、行楽地・観光地で客を迎える立場の方は経済的な損失が多い事だろう。
今週も週末雨月間が継続していて土曜日は降ったが、日曜日はまぁまぁの天気だ。
20日の日曜日、吉和の沼長トロ山へ5人で行く。2週間前の紅葉時にいく予定だったが、雨で流れた計画だ。
吉和の朝市で野菜類を買い出しをして、大向長者原林道を進み、角兵衛の墓にお参りする、墓の祠が石像の台から前方へ降ろされているけど、人間の意志か自然現象(突風とか)なのか。
墓の少し先の銅山林道進入口付近に駐車し出発する。
駐車地から直ぐ先から南側の大向林道と並行する山道を進み、沼長トロ山への取り付き尾根を間違えて、強引に藪を進んで引き返し、30分ロスして正規の登山道を見つけた。
登山道は基本的にずっと、丈は低いけど笹と灌木の踏み跡の薄い尾根伝いの道だが、落葉しているので足元は見易い。
今回の計画は沼長トロ山・A峰・B峰・C峰・D峰を廻る予定だ。
沼長トロ山までは多少急登だが、後はあまり急坂ではないピークを何度もアップダウンする。道はずっと尾根道でテープも随所に巻かれているので迷うことはないが、沼長トロ山以外に標識が無いので名称を特定できなくて、気が付かなくて通り過ぎるかもしれない。。
曇っていて気温が低く風が強いので体感的に寒い。
A峰からB峰までの間の岩尾根の途中で、北からの風を避けて岩の南側で昼食を摂る。
B・C峰を経てD峰から下って鞍部から右方に向かい沢沿いの谷下る。歩き易いとこをを何度か左右に沢を渡り、銅山林道に出て駐車地に帰着する。1時30分だ、結構速すぎる下山時間だ。
お関の墓に参拝する、コンクリートの凹地の小さい自然石か、おせきの墓と刻まれた角柱のどちらが本体か分からないので、どちらのにも参拝。
ここからのんびりと中津谷の国道488号線を通って帰ることに。
登山中もこの道も広葉樹は全て落葉している。紅葉時に行くのも良いけど、落葉時期も明るくて遠望が利き、川や対岸の眺望が良い。
茶色な枯れた風景が侘びていて、裏千家流で1畳半の寂び車室でペットボトル茶とチョコレート味の菓子で一服。「もののあはれ」など感じ気分は風流人である。
吉和の国道186号線に出てトライアスロンのコースにもなっている所山経由で帰る。温泉施設の「魅惑の里」にも所山の釣り堀にも結構車が停まっているが、最近の天気の傾向からすれば貴重な好天日なので人出が多いのだろう。まぁ沼長山中では誰にも会わなかったけど。
帰路、津田の十王堂に立ち寄り参拝し、閻魔王他の王様に諸々願い事をする。
下山時間が早いと、いろいろと寄り道できて楽しいものである。

 
 





 11/11/14 聖山・高岳 g728
 この所週末になると天気が崩れ、何度も予定が飛んでしまった。
今週末は珍しく土日とも雨予報では無い、しかしこういう時にはインドアの行事予定が有ったりする。なかなか世の中はうまくはできてはいないものだ。
11月13日、日曜日に事前に予定には無かったが、3人で芸北の聖山・高岳縦走へ。
戸河内ICで降りて産直市で野菜を買い出しして、おふくろ屋で並んで購入したコロッケを食べ、聖湖堰堤付近に駐車する、結構車は多い。
紅葉は期待していなかったが、まぁ想定どおり。聖湖の周辺や標高850m位までは葉が多少残っているが、きれいとは言い難い。
10時に中の甲林道登山口を出発し十文字峠から聖山山頂へ着き、少し先の大岩の展望地まで足を延ばすが、曇っていて何も見えない。
20人位の団体と出会う、聖山頂でも高岳までの縦走路にも広い場所が無く、多い団体だと食事場所に苦労するだろが、12時に縦走路の小ピークのわずかに広い場所で昼食を摂る、
食後、出発し「野田の百本松(奥匹見峡)」分岐へ着く。2009/11/3に奥匹見峡から登り積雪だったが、今年は未だ雪が降ったとは聞かない。
2時前に高岳に着く、前面に聖湖が広がり島も見え、紅葉箇所も見えるが曇っているので展望は悪い。
下山中に前方にヘルメットをかぶった5人の人が見えるが、ナラ枯れの対策作業をされる自然保護団体の方達だった。
道脇に50cm位のブルーシートな包まれた不審な物が何個も有ったが、虫が入っている木だったのだ、ナラ枯虫を閉じ込める為の物と説明していただいた。
何か分からないので登山者がシートを開いて見ることがあるので、説明書きが必要だろうと言われていた。病気の樹には点滴が施されていた。
191号線を来る途中でも変な枯れかたをした木が沢山あったが、あれもそうだったのかな。
ナラ枯れの現象が拡大すれば環境・生態系にも相当悪影響が及ぶことだろう。
高岳登山口から駐車地へ車を回収しに聖湖を周遊するが、湖面にカモが泳いでいた。
この地域は新緑か紅葉の時しか来ないが、落葉時も空間が明るく良いものだ。
3時30分、駐車地に着くとほとんど車は無かった。
帰路に戸河内の道の駅に立ち寄るが、道路の両側共に結構な人出だ。

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 11/10/24 大野権現山 g727
 10月23日、大野権現山へ。
本日の目的はベニマンサクの紅葉見物と、おむすび岩は人力で動くという事の検証だ。
4年前に私が押して動いた、ここで出会った2名の方とも確認した。先日この事を人に話すと、誰も信じなかった、これでは正直者との評価が高い私の信用が失墜される恐れが多分にあるので、ぜひとも実証したい。
暖かく良い天気でTシャツ1枚で十分だ。
渡ノ瀬ダムからおおの自然観察の森に向かう。道中には数十台の車が駐車している。全てマツタケ採りのものだ。自然観察の森の門扉前にも多数の車が有り、園内の駐車場が満車なのかと思ったら、オープン前に山中に入った人の車だった。10時、駐車場を出発する。園内で手には何かを持っている作業着姿の何人もの方を見る。
自然観察モードはマツタケ探索モードに切り替わる、情緒より実益優先だ。
1ヶ月前に旧佐伯町から登った時には誰にも出会わなかったが、今日は登山者が多い。権現山に登りおむすび岩に着くと12時頃で、たくさんの人が食事をしていて、おむすび岩に近づくのも苦労するくらいで、とても岩を押せるような状況には無く下山に掛かる。
下山は烏帽子山・船倉山方面へ下る、こちらはほとんど人が通らないようだ。左からの旧佐伯町の上峠からの道との合流点の鞍部に着く、ここから右へ向かうが自然観察の森とほとんど標高が一緒で平地歩きだ。ホオジロが原という所に出て、自然観察センターへ入る。
センターにはいろいろな展示物が有るが、展示の仕方が雑だ、動物の剥製と頭骨があるが名称は無い、石の標本が有るが採取場所だけが記してあるが、種類なのか化石なのか矢じりなのか意味不明、野鳥を鳥かごに入れたものが4〜5個床の上に置いてあるが、足元なので気が付きにくく鳥名も書いて無い。何らかの理由で保護したものかどうかは分からないが、何の表示も無い、野鳥の捕獲は法律で規制されていると思うが、ここにこれが不自然に存在する意図が全く分からん。
ベニマンサクはしっかり見たが、おむすび岩の件は駄目だった。まぁガリレオ・ガリレイのように真実を述べても弾劾されることが有るからね、事実はいずれ証明されるのだ。
帰路は中津岡川沿いの道を山陽道大野IC付近に下る。

     
     





11/10/18 十方山 g726 
 10月16日、十方山へ。
車2台4人で出発し吉和の野菜市で生鮮野菜を購入し、瀬戸の滝登山口へ1台駐車して、那須登山口へ向かう。
那須から登るのは5年振りだ、風小屋林道の終点に駐車し9時前に出発する。
広くてよく整備された道だ、藤十郎を経て内黒峠からの縦走尾根に合流する。
歩くのに快適な温度だ、休憩で止まると少し寒いくらい。紅葉は標高が高い所がわずかで、ほとんど緑だ。
11時30分頃山頂に着く、先着者が7人位、少し霞んでいて瀬戸内海までは見えないが、まぁそこそこの展望だ、昼食中に何人も登ってくる。
下山は瀬戸の滝に向かう。滝を見物後川沿いを通って駐車地に着き、那須へ置いてある車の回収に向かう。
瀬戸の滝から那須への道は5年ぶりに通るが、途中の打梨の2つの集落や那須集落は無住が多いようで過疎化は進行しているようだ。


 居住1件の ↑ 集落のポスト





 11/10/11 冠岳 g725
 10月9日、2人で冠岳に登る。
小瀬川ダム堰堤近くに駐車し尾根道を登る。整備された良い道だ。しかしスズメ蜂にはよく遭遇する、今日は対抗する武器は携帯せず、神仏に祈りながらやり過ごす。
1時間位で頂上に着く。天気も良いし素晴らしい眺望だ。下山路は東方の谷に向かう。こちらのコースはあまり通行が無いのか、何度も踏み跡が消える。沢に着き対岸の取り付き地点が分らづ、強引に藪を上がると道が有り、すぐに林道と言われる所へ出る。林道と名前はついているが棘木(犬山椒)とかぶれの木(ヌルデ)が繁り、山になりかけだ。
右に寄ればヌルデに当り、左に寄れは山椒の木に引掛かる、究極の選択場面が多いが、皮膚が心配な同行者はヌルデを避け、ウェアが大事な私は山椒を避ける。
国道186号に出て駐車地まで帰り、山頂から眼下に見えた、山口県側のダム湖畔のレストランへ昼食を摂りに立ち寄る。

     
 人・猿・アシカ  海外からも来たか  下山口/一応林道らしい





 11/10/11 窓ヶ山 g724
10月8日、窓ヶ山へ。
5月21日に「広島市の山を歩く」本のAコースを登るつもりで、ルート間違いをしたコースを再度登り、高山(向山)まで縦走しD2コース下る予定で、藤の木団地の奥に車1台を置き4人で魚切登山口に向かう。

  [ 広島市の山を歩く ]地図    [いしうちのたかやま]コース

東コースLからS地点が倒木で通れないので、滝に下り西尾根急登を4駈で登る。前回は尾根からS地点が分らなかったが、今回は目の数が多いのでクリア。
S→Tからキレット谷のUに着く。前回はここから目的地より相当東寄りの十畳岩に出たので、今回は慎重に文章を読んだつもりで登る。超急登で掴んだ岩は動き、枯れ木は折れ、生きた木は岩の上なので根が浅く抜け、枯れ葉で滑り藪を漕ぐ難路だ。結局又十畳岩に出てしまった。
本の文章が悪いのか、我々の読解力が相当に低いのか。
9時20分に出発してこの時点で12時30分だ。昼食を摂り東峰山頂から高山へ向かうつもりが、分岐を間違えて東コースを下ってしまった。
ほとんど登山口近くの岩で同行者が1.5m高さを前下方1.5回転、受け身失敗で手甲打撲。今日は友引だ、悪い連鎖は続く。
スズメ蜂はよく現れたが、今日は強力な武器を持っているのだよ。殺虫ジェットスプレーで撃退するのだ。
藤の木に無駄に置いてきた車を回収して帰宅。

   
 滑る、揺れる  ひっつきもっつき





 11/10/03 船倉山 g724
10月2日、来週行われる秋祭りの準備をした後、廿日市市宮内半目藪の運送会社の駐車場から船倉山へ登る。
この道は高圧線鉄塔の保守道なのでいつも整備されていて歩きやすいけど、ひたすら急登だ。
山頂までに5本の鉄塔が有るが、2本目で休んで、飲料も食料も持って来ていないことに気付いた。手ぶらで来て、ここまで忘れたのに気が付かないとは、なんともついにアレがきたか、情けないな。
腹が減った意識が段々と強くなり、鉄塔毎に休むがあまり休んで時間が経過すると、ますます飢餓感が強くなるので、私の嫌いな言葉ベスト3の「努力・気合・根性」を3年ぶりに発揮して何とか山頂へたどり着く。
同じ道をピストンするが、急坂なのに腹にも足にも力が入らないな。
帰宅して体重計に乗るが、数字は普段と変わり無く、体型も変化はないようだ。
私の超々短時間の経験で言うのも何だが、減食してダイエットするのはストレスが溜まるだけで効果は無いと思うよ。





11/10/03 天応烏帽子岩山 g723 
 10月1日、4人で天応烏帽子岩山へ登る。
ここは何度か来た事があるが、いつも登山口の駐車場までを迷う。今回は1番ひどくて吉浦まで行ってしまった。
2人の方に場所を尋ねて10時に墓地の駐車場にたどり着く。先行きは不安だ。
烏帽子岩に近づくと右手のクロナメラで2人クライミングしているのが見える。烏帽子岩直下でルートが分からなくなる、不安は的中するな。ルートを探しているとクライミングしている方が上方から教えてくれた。
ドン亀岩に着き上に登る、4人目の方が登りかけて滑落し膝に怪我をした、しかし幸いなことにウェアは無事だった、皮膚は再生し保険もきくが、衣料の破損は元に帰らないからね。私も転倒とかする時には体より衣類を庇うようにしている、あくまでも経済優先だからね。
12時山頂に着き昼食を摂る。食後、上山まで足を延ばし、ハカバ尾根を下る。登山口付近から見る烏帽子岩の姿は屹立として見えるが。ハカバ尾根の横から見ると岩だらけですぐには特定できないがドン亀岩の方が特徴的な形状だ。墓場に下り極楽寺橋を渡って駐車地にたどり着く。
墓場から始まって墓場で終わったが、まぁ誰もこの地点に永眠することが無くて良かったよ。

     
 マッターホルン風味  親切クライマー  三途川架橋
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11/09/26 大野権現山 g722
 9月25日、大野権現山へ。
昔々、中国新聞社から「ふるさとの山歩き」というガイド本が出版され、その内容のガイドで旧佐伯町から権現山へ2回位登った。
その後も何度か登ったが大野の「自然観察の森」か佐伯工業団地からだった。
今回、この20年前に書かれた内容で登ってみようと思い、現地に行くと記述と現況がえらく異なり、登山口が分からなかった。
佐伯工業団地奥の青光園団地から登ることにする。
登山口はいきなり河原歩きで、倒木も多く、藪ってもいる。旧佐伯町と旧小野町の町境の峠に着き、ここから左折し尾根道を山頂に向かう。
登山の歩き方は、足元を見て一歩ずつ慎重に進むのが鉄則で法律でも決まっている(登山法第2条1項)。
しかしここの道は恐ろしく蜘蛛の巣が多く、足元に注意するとひどい事になる。結構な急登で小岩を何度も登ったり大岩を迂回したりするが、蜘蛛の巣排除の方が難儀である。
スズメバチと何度も遭遇する、複数で登る時には他の人の所へ行くように念力をかけるが、今日は単独だ、祈るしかない。次回は殺虫ジェットスプレーを持って来て勝負してやるぞ。
山頂に着く、三角点が有り、699.5mだ、惜しいな〜、もう0.5m何とかならなかったのか。ここに設置してある祠は相変わらず悲惨だ。神様も居心地が悪いのでは。
道中でも山頂でも他に人を見ることなく、中国山地の山々から瀬戸内海の島々まで展望後即下山する。

     
 岩と同化した木  蜘蛛巣排除機  山頂祠





 11/09/12 大万木山 g721
 9月11日、4人で大万木山に行く。
中国道を三好ICで降り、54号線を島根県飯南町へ向かう、合併で新しく命名されたが以前の頓原町だ。
ルートは3本あるが滝見ルートを登る。門坂駐車場から渓谷沿いの幅広い良く整備された良い道を進む。直ぐにブナ等の広葉樹林帯で植林は全く無い。途中で渓谷に下り、権現滝を見る。
渓谷沿い離れて一旦舗装路に出て地蔵尊展望台に着く、曇っているので日本海は見えないが、三瓶山は見える。
11時過ぎに山頂で昼食を摂る。テーブル・ベンチが設置してあり広く明るい山頂だが眺望は無い。
下山は渓谷ルートを下る。半ばくらいまで等高線が細かい急な地形だが、道はジグザグに付けられているので歩きやすい。
道は分岐が有るが、竜門滝への道は通行止めになっているが、滝は見られる。何度か沢を渡り、沢沿いの道になり、位出谷駐車場への分岐から、門坂駐車場へトラバースする横手ルートを通り駐車地へ2時過ぎにたどり着いた。
今回私たちの他に4人に出会ったけだが、こんな良い山なのに登る人は少ないのか、まぁ花も紅葉も無い時期だからね。登山道も良いし、標識もしっかりして、随所に同じ規格の避難小屋・トイレが設置して有り、囲炉裏が有って炭も準備してある、いたれりつくせりだ。暑い時期だがルートのほとんどが木陰だ。
下山後、時間のゆとりが有るので、昔訪ねたことが有る(と思っていた)、この町の隣の雲南市(中国っぽい市名になったな)の吉田村に「鉄の博物館」観光に行く。
途中で民谷という集落で偶然にきれいな茅葺屋根の家が目に付き、寄ってみると数年前に修復された国指定の重要文化財で「堀江家住宅」だった。隣家の所有者の方の了解を得て見学させていただく。237年前に建てられた家だ。修復されすぎの感が無くもないが、天井の高い大きな材を使った迫力ある建物だった。
「鉄の博物館」は古い街並みを保存した地区にあった。昔に見た建物とは違う、昔見たのはコンクリートの大きな建物だったが、ここは古い木造だ。
「鉄の歴史博物館」、入場し、たたら製鉄のビデオや展示物を見て、同行者がここで販売されている玉鋼は一切含まれていない安い包丁、ねじり鎌を購入する。退出する時に、ここの係りの人に聞いたら、どうも思っていた博物館は横田町だったようだ。全くの思い違いだった。
記憶というのは記録と違っていい加減なものである。
大万木山も2001年に来ているが(これは記録)、大岩の下に祠が有った記憶以外は全く覚えていないが、今回見なかったので、当時は今回通らなかった権現ルートをピストンしたのかもしれない。
まぁしかし、もの忘れがよいということは、ある意味再度新たな感動を味わえるということで、これはこれで良いことなのだ。

     
     
下左写真:まむし・毒毛虫等は傷つけろということかな、しかし等というのは何のことだろうか
下右写真:非観光地図、集落の32軒の個人宅と公会堂・民谷分校・神社・寺の位置が描かれている、ちょっと珍しい大きな看板。





11/09/06 三倉岳・瓦小屋山 g720 
 9月4日/日曜日、6人・車2台で三倉岳・瓦小屋山へ。私以外は皆女性だ、こういうのを世間ではハーレムというのでせうか、しかし内容は・・・。
前々日から大型台風が中国地方に接近する予報が出ている。
天気予報は県単位で南部・北部とか東部・西部とかの区切りで、結構大きい範囲を大雑把に予想するので、天気次第で行動する人は信頼感はもちにくい。
当初は廿日市市の十方山を安芸太田町から登る予定だった。
地デジ放送になりデータなんとかで市町村単位での予報も出るが、廿日市は大雨・激風の予想だ。
しかし廿日市市は瀬戸内海から中国山地までと広範で、テレビで台風情報を随時放送するが、予報は大雨・激風だが沿岸部は雨も降らづ、風も大したことはない。
昨今は市町村が大合併して大きな面積になっているので、もっと細やかな範囲の予報ができないものか。
台風は四国・岡山を通り、広島県ではほとんど被害が無かったが、紀伊半島では人命にも建物にも甚大な被害が出て真に気の毒なことだ。
天気予想は悪いので三倉岳・瓦小屋山縦走の予定ではあったが、悪くなれば三倉だけで下るつもりで神ヶ原へ1台駐車して、管理棟のある場所から登山開始。
台風の影響が有るはずなのに、全くの無風で蒸し暑い。朝日岳・中岳分岐から朝日岳をピストンし鎖場を登って中岳山頂へ。スズメバチがずっと纏わりついている。
私は12年前にここで痛い目にあっている。今回の同行者の一人と共に、スズメバチに刺されて病院に行ったことがある。スズメバチにはトラウマなのだ、[アナフィラキシーショック]、こんな難しい単語が私はすぐにでてくる。
私・ミツバチには天敵なのだ、この種が滅びてなにか生態系に問題が有るのか無いのか。
夕日岳に向かい、山頂で昼食を摂る。冠山・大峰山等高い所はガスがかかって見えないが、低い所は抜群の展望だ。。
天気も持ちそうなので瓦小屋山へ向かう。Bコース鞍部へ下り、地味〜な三倉岳三角点へ。
瓦小屋山は17年前に大栗林登山口からピストンして、その後行った事もないので縦走は初めてだ。
道の状況は、あまり期待はしていなかったが、尾根道で迷うこともなく、藪は無く、岩を超えたりロープが有ったりと変化に富んだ良い道だった。灯篭岩展望台へ登れば三倉岳の岩肌の景観がすばらしい。
途中に岩がオーバーハングした、休息に良さそうな所で上を見上げれば、ゲッゲッ!! スズメバチの巣だ。静かに素早く立ち去る、神様、仏様・・・。
三角点碑しかない地味〜な瓦小屋山頂を経て大栗林に下る。
長くて急で、シダ藪で、路面が見えない湿った滑りやすい苔岩道だ、展望は一切ない。前回はここをピストンしたのか、登山路の状況はとっくに忘れていたが17年も縁がなかったはずだ。

     
     
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 11/08/29 岩樋山・道後山・多里大山 g719
 8月27日、道後山へ2人で行く。
中国道の庄原IC近くの野菜・果物の産直所の「ゆめさくら」があるが、オープンが8時30分で、比婆山に登る時には早めに家を出るので、ここが未だ開いていない時に通過するし、帰りは4時が閉店なのでもう閉まっている。
今回は買い物が主で、ついでに登山。クーラーボックスを2個積み込み出発し、開店少し前に着く、もうかなりの人が来てオープンを待っている。野菜・果物・弁当を買い、途中の農園の直売所でさらに買い増し道後山へ。
「お盆を過ぎて朝夕めっきり涼しくなった山の家のストーブに火が入った」というのがかっての定番ニュースだったが、山の家も閉鎖され異常気象で涼しくもない。食堂も宿も廃屋だ。ここを通り過ぎ月見ヶ丘駐車場へ。10時30分岩樋山へ向け出発する。蒸し暑い。
岩樋山頂から下り道後山へ、花は結構咲いている、鞍部にはかっての両国牧場の柵の石積みがあるが、明治時代の頃の物だというが、大力仕事という感じに感動するなあ。
道後山頂で昼食を摂り、多里大山へ向かう。道はきれいに草・笹が刈ってあり歩き易い。小奴可から登ってくる道と合流する所に金属の道標が有り、「眺望絶佳・50分・藪漕ぎ」と書いてあるが藪はきれいに刈り払れ10分で着いた。10分で行けるとこを50分とは、どんだけひどい藪だったのか。
山頂には今年の5月に建てられた新しい山頂碑と、いつの時代の物か古いお地蔵さんと、大きなアンテナが設置されているが、デジタル化した今は無用の物か。
道後山からの眺望の後では絶佳というほどの事はないが、微絶佳を眺望後来た道を帰り、大池を通り駐車場へ帰着する。
帰路にアイスクリーム屋に立ち寄り食す。

     
 秋の気配か  多里大山/地蔵さん  道後山/地蔵さん
     
 フシグロセンノウ  イヨフウロ  ・・・
     
 ワレモコウ  カワラナデシコ マツムシソウ 
     
 ツルニンジン  タムラソウ  ホソバヤマハハコ




11/08/29 仙丈ヶ岳・甲斐駒ケ岳 kyco
某ACZ社の甲斐駒ケ岳・仙丈ヶ岳ツアーに参加した。男性2名・女性7名に男性ガイド1名の計10名の一行である。
8月22日午前7時,広島を出発し、中央道伊那インターで高速を降り、戸台口の仙流荘へ午後4時到着し宿泊する。

23日、戸台口を午前6時の始発バスで、北沢峠へ約1時間。
山小屋長衛荘へ荷物を預け、仙丈ヶ岳を目指し、午前7時半出発。藪沢ルートを行く。大平山荘の横を通り、藪沢大滝で休憩。樹林帯が、後半は沢沿いの道に。途中一箇所雪渓も残っていた。
花畑が続く、カニコウモリ・センジュガンピ・トモエシオガマ・ヨツバシオガマ・エゾシオガマ・グンナイフウロ・トリカブト・ヤマハハコ・ウスユキソウ・タカネヒゴダイ・チングルマ・リンドウ等々。
馬の背ヒュッテを通り過ぎ、11時半霧の中を仙丈小屋着。展望が全くない。小屋の横に併設されている、屋根つき囲いつきスペースで昼食。指先のしびれを感じる。酸素不足?寒いから?全員がカッパを着用、40分くらいの昼食後、仙丈ヶ岳頂上めざし出発。途中で雷鳥の親子にも会う。1ヶ月前に槍ヶ岳で見たのよりも、かなり大き目の鄙雷鳥だ。
午後1時前、霧の頂上3033m着。午後2時、展望のないまま小仙丈。この辺りから、霧が次第に上がり、摩利支天・甲斐駒ケ岳が見えてくる。午後3時五合目まで下りてきた。雨には降られないまま、午後4時半、長衛小屋着。夕食も早く、7時頃には寝入った。

24日、午前4時30分、暗い中を甲斐駒ケ岳めざし出発。
樹林帯の中、そして岩石がゴロゴロの中、仙水峠へ。朝焼けがすばらしい。昨日登った仙丈ヶ岳にやさしい朝日があたって、こんな風景が見たくて来たんだなあと、幸せになる。そして駒津峰まで、樹林帯の中を2時間近い急登。
午前8時、駒津峰へ着。晴れ渡り展望はすばらしい。目の前に甲斐駒ケ岳が、一段と大きい。ここからは、狭い尾根道で、ストックも仕舞って、岩の多い上り下り。六方石を過ぎて、今度は白砂の滑りやすい上り。
午前10時前、駒ケ岳頂上、最高のお天気で大パノラマ。北アルプスの白馬から鹿島槍、槍ヶ岳、穂高、笠岳。御嶽山、中央アルプス。南アルプスの北岳、鳳凰山そして富士山。ぐるっと八ヶ岳まで。これ以上ない展望であった。
帰路は白砂の滑る道を駒津峰まで下ったところで11時半、昼食。私は、米に関してうるさく言うほうではないが、昨日の米飯、今朝の米飯、昼食も気圧の影響か、調理人の技術かホッチンなのだ。正午過ぎ、駒津峰から、ザレ道を下り、樹林帯を登り返し双児山を経て、長衛荘へ2時過ぎに着いた。午後3時の臨時バスで、戸台口へ着き、ワゴン車に乗り換えて伊那の街のホテルに宿泊。生ビールも美味しい当地のお酒『夜明け前』も頂き就寝。
25日は、一路広島へ帰途。

     
 藪沢ルート  チングルマ  仙丈ヶ岳登頂
     
 小仙丈から甲斐駒  甲斐駒から遠くに富士山  甲斐駒から穂高連峰




 11/08/吉日 思い違い/脳細胞減少化を嘆く g718
11/08/08の文章で、[林道終点の少し手前から夏焼峠に向かうつもりだったが、林道が途中から山と化していて、入口を間違えて早手のキビレに出た]と記したが、これは私の思い違いであった。何度も通って地形は分かっているつもりで地図もコンパスも持たないで来るが、牛小屋高原のセンターハウスで販売している中国山地の地図を見れば、すぐに分かるけど、夏焼峠へ直に行くのは中の甲林道から入るのだった。
これは当分経って気が付いたけど、こういうようなケースが段々と増えるが、悲しいものである。





11/08/08 恐羅漢山 キレンゲショウマ アサギマダラ 砥石郷山  g718
8月6日、4人で恐羅漢山へ。天気予想は曇りのち晴れ。
戸河内ICで降りて内黒峠を経て、牛小屋高原に駐車する、車は他に1台。
8時40分に出発しゲレンデコースを登る、先行者は1名で夏焼峠の方に向かわれた。
9時40分に恐羅漢山山頂に着き、平和公園の方向に向かって黙祷。
休息後、クマよけの鈴のボリュームを最大にして台所原に下る、倒木が多くスズメバチがずっと飛び回り気に障る。
この間はブナ林と笹原の組み合わせが素晴らしい景観だ。
今回のメインはキレンゲショウマの観賞だが、今年は全ての花の咲くのが遅いので期待していなかったが、結構咲いていた、3〜4割くらいか。お盆の頃には盛大に咲くのではないだろうか。今までにこの場所で人に出会わなかった事は無いが、今回は貸切だ。
十分に堪能し台所原平で12時になり昼食を摂る。3人の方が食事をしていたがキレンゲショウマの場所が分からなかったと言われたので教える。
食後、管理林道を進む、チェーンが掛けてあり、車は進入禁止で草が繁っている。
6月25日に恐羅漢に来た時に、アサギマダラをゲレンデで1匹見て、こんな時期にもいるのかと思ったが、この日はもう盛り沢山。今まで見たなかで最高の数かも知れない、固体の形状も大きいよう感じた。
他に泥濘状態地で留まる、大きい黒い蝶も見た。この蝶は帰路の内黒峠の近くの、ぐちゃぐちゃ泥地でも見た。
林道終点の少し手前から夏焼峠に向かうつもりだったが、林道が途中から山と化していて、入口を間違えて早手のキビレに出た。
夏焼峠に下る途中にトグロマムシ、恐る恐る50cm横を通り抜ける。
夏焼峠には3人の方が休息していた、ここから砥石郷山に向かう、道傍の笹が山頂まできれいに刈ってあったが、刈りっぱなしなので道は笹で覆われていて滑りやすい。
途中の眺めのよいピークで一服し、下り始めの急坂の一歩目が石だが、ここに足を置く寸前にこの石の下の空間にマムシが入り込み、思わず飛び上った、石を何度も叩くと出て来て草むらに入った。道は笹に覆われているのでこの後マムシがいても分かり難く、いささかビビる。
砥石郷山をピストンし帰路に初めて見るキノコが有った、触感を確かめていると茎が折れた、どうも申し訳ないことしたな、何という名前なのであろうか。行く時と同じ個所に又マムシがいた。
4時に管理棟へ帰着しアイスを食す。
この日はひたすら曇りで晴れ間は一切なく、風も結構あって涼しくて良かった。キャンプ場には人がいるようだが、山で出会った人は6人だけだったが、次日の新聞に八幡原で熊に襲われた人の記事が有ったが、熊・マムシ・スズメバチと山もリスクが多いね。
人命に係わりはあまりないけど、大迷惑だったのが飛び回るアブと2機のジェット機。

不知名蝶 なでしこJapan 三鈷茸?
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11/07/27 槍ヶ岳 g717
7月21日、旅行会社催行の3泊4日の槍ヶ岳登山ツァーに参加する。
5月の時点ではマイカーで行く予定であったが、個人で行くとコースも限られるし日数も多くなるし、ETC1000円割引も無くなったので費用対効果を考慮しツァー参加になった。金と暇があれば上高地の帝国ホテルに泊まって山小屋に連泊しながら、のんびりと登りたい所ではあるが現実は厳しいのだ。
JR広島駅に集合で、列車時刻にゆとりを持って家を出たつもりだったが、私が乗る駅近くで警報機が鳴りだした、ホームは二階で切符も買わずにぎりぎりで列車に飛び乗る、早くも300m位登ったような疲労感だ、先が思いやられるのである。
7時30分にバスで出発し、16時前に上高地へ着き、支度を整えて出発、河童橋から見る穂高は雲の中、1時間30分ばかり歩いて宿の徳沢園に着く。
ここは初めて泊まるけど、リゾートホテル風で我々は大部屋だが個室も有り、浴衣姿の人もいる。レストランにメニューボードが有るが、個室と相部屋では、えらくメニューが違うが、こんなに差別・格差が許されていいのか、人間は平等だと義務教育で教わったが、あれは何だったのだ、まぁ生ビールの味は同じだと思うけど。

22日、早朝発なので屋外で弁当食事を摂り、5時前に出発。梓川に沿って進む、横尾、一の俣を過ぎ、二の俣から橋を渡り梓川から離れて槍沢ロッジ、ババ平を経てから9時に大曲りへ着く、今年は雪が多かったので、ここから何か所か雪渓を通るが、アイゼンを要することは無い。天狗原分岐を過ぎ11時に昼食を摂る、でかむすび2ヶの弁当だが1ヶでごちそう様だ、残りは無駄に持ち歩くゴミになる。
標高2500m位から酸欠状態になる、もうパクパクだ、前を歩く人が酸素を奪い過ぎではないのか、この日は標高差1500m登るが後550m位、絶望的だ、殺生ヒュッテ別れから槍ヶ岳山荘は近くに見えるのに、ジグザグに進むのでなかなか近ずかない、13時30分小屋着後逝った。
1時間位休息し槍の穂先(3180m)へ登る。空荷でも酸欠状態だ、感動よりも酸素をくれ〜。
夕食後外に出てブロッケン現象を見る。
NHKが番組制作の為ビデオカメラを構えているので、オーデションに行くが高額ギャラを要求した為か、私のシティボーイのイメージが強すぎるからか却下。

23日、6時出発し大喰岳(3101m)に向かい中岳(3084m)を経て南岳(3033m)へ。20人位の韓国のグループが大キレット・北穂へ向かって下っているが、私達はここから南岳新道を1000m下って槍平小屋へ向かう。岩と馬の背と梯子の道だ、結構膝に来る。
13時30分、槍平小屋へ着く、9年前に泊まったことが有るが、全く記憶に無い。テラスで取り合えずビール、食事まで間があるのでさらにもう一本。さらに飲みたいけど経済が・・(家ではここの1本分の値でビール風が5本飲めるのだ)。
寝床は4枚の布団に6人の予定だったが、幸いなことに1人1枚になった。夜中に殴り合いというような状況にならなくて良かった。

24日、槍平小屋から6時出発し1000m下って新穂高温泉に着き、迎えのバスに乗り、平湯温泉で入浴・昼食をとり帰路に着く。






11/07/19 三鈷峰 g716
7月17日、3人で三鈷峰に登る。前夜出発し中国道・米子道を通り、蒜山高原SAで4時間位仮眠をし、4時過ぎに出発し溝口ICで降りて5時前に大山橋の駐車場へ着くと結構駐車していて、団体のバスも来る。ここの河原で朝食を摂り、5時40分に三鈷峰に向け出発する。
圧倒的に大山に向かう人の方が多い。大神山神社へ参拝し登山道へ入る、アジサイがきれいだ。治山道で一服し下宝珠越からブナ林を通り中宝珠越を過ぎ、上宝珠越へ、途中で境港の高校の山岳部がインターハイの練習で登って来る。三鈷峰・ユートピア・大山北壁を見ながら進む。
ここの道は3年振りだが崩落箇所が増えたような気がする。ユートピアとの分岐から三鈷峰へ向かう。花畑は三分咲き位か、予想通りだけど、来週あたりが良いのかもしれないが、まぁいろいろと事情もあるので仕方ないね。三鈷峰からユートピア小屋までの尾根道も、ずいぶんと灌木が繁り対面が難しくなった。
10時30分に昼食を摂る、ここの尾根筋には木陰は全くないが、幸いなことにユートピア小屋のわずかな影部分に座れた。
大山夏山登山道の行列が見える。食後、象ヶ鼻の近くから上部の砂すべりを下るが、子供の頭大・こぶし大の石が多く滑りはよくなく、非常にバランスがとりにくい。
勝間ケルンの側から登山路に出、上宝珠越から北壁側への急斜面を谷に降り再度の砂すべり、こちらは粒子は細かいが何か距離が短くなった様に感じる。
帰路は最近、大山高原スマートインターチェンジというのができたので、そこから米子道に乗り帰宅の途へ。
以前ならETC1000円割引で往復2000円だったけど、今回は半額割でも5000円オーバーだ、悪政を施す政権は永くは持たないぞ。

上部砂すべり/石粗目 下部砂すべり/砂細目





11/07/11 比婆山 g715
7月10日、5人で比婆山へ。前々日の朝の天気予想は雨だったが、いきなり梅雨明け宣言が出て気温は30度越えの好天気の予想になった。
中国道の庄原ICで降り、県民の森のセンターへ駐車し8時30分過ぎに出発する。反時計回りで出雲峠に向かう。ブナの木立は風が心地よい。
出雲峠から烏帽子岩山へ登り、吾妻山目指して大膳原に下る。大膳原から吾妻山までほとんど木陰は無いが風があるので思ったよりは暑さを感じない。途中で野営場へ立ち寄る、きれいに整備されているが誰もいない。
道中は花畑だ、いろいろな花が咲き乱れている。12時に山頂に着く、よく晴れ渡っていて宍道湖も大山も見えるような見えないような。
山頂には木陰は全くないが、ここで昼食を摂り、食後南の原方面へ下り再度大膳原に出て御陵へ向かう、ブナ林が感動的に美しい。
3時30分頃御陵に着く、もうあまり人がいなくて伊邪那美命の御陵は霊気が漂い静寂である、というようなことは全く無く、蝉が思い切り喧しいのだ、会話もできかねる位。出発時から林の中はよく鳴いていたが、ここで絶高調に達した。五月蠅と書いてウルサイと読むが、ここの地域の方は七月蝉と書いてヤカマシイと読むらしい(真偽未確認)。国作りの神も騒さくて安眠できないのではないか。ここから越原越えに下り、きれいに手入れされた杉林を抜けてセンターへ帰着する。
今日はよく蛇を見た、m超えの大物ばかりだ、蛇づくしは烏帽子山の烏帽子岩から始まった。

 烏帽子山の妖怪蛇娘





11/07/04 焼山・駒ヶ林・弥山 g714
7月2日、4人で宮島へ行く。
9時に宮島口に集合して連絡船で宮島に渡るが、観光客はすごく少なく、登山姿の人は全くいない、桟橋や参道に鹿もいない、次の日はトライアスロンが有るので、関係者とかであふれかえっていると思っていたけど、土曜日なのにこんなに人が少ないのは異常な感じがする。
大元公園から岩舟岳ルートを通り、前峠山への分岐の尾根に出て、焼山を経由して12時少し過ぎに駒ヶ林山頂に着く。ここの岩の上で昼食を摂るが貸切だ、向かいの弥山山頂にもほとんど人影は見えない。食後、弥山へ向かう。干満岩の穴を見るが、干潮に近い時間なのに満水に近い、伝説の干満岩も昨今の異常気象続きでメカニズムが狂ってしまったのか。
弥山山頂の売店で氷を食べる、ここの展望台は6月で閉鎖して新しいのができるという事だったが、未定になったらしい。
帰路は四宮ルートを下り紅葉谷に降りるが、ほとんど人はいない。
なぜこんなに人出が無いのか、不思議だ。団体観光客は見ないし、修学旅行生も見ないし、外国人は数人見ただけだ。
ETC1000円がなくなったからか、増税が予定されるので財布の引き締めか、原発の風評か、地元の自動車メーカーが土日を就業にしたからか、次の日にトライアスロンが行なわれ、ここからスタートするというのに、盛り上がりの気配も無い。帰路の船もがらがらで、いつもは混雑している宮島口桟橋から国道二号線へ出る信号も渋滞が無い。
廿日市市の観光施策は大丈夫なのか。

フィールドアスレチック 四駆道 神狸
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11/06/27 旧羅漢山・恐羅漢山 g713
6月25日、4人で旧羅漢山・恐羅漢山へ行く。
週間天気予想はずっと悪かったが前日の午後から良い予想になった。まぁ、良い方向になったのだからいいけど、気象庁は政府、東電の次くらいに嘘つきな団体だな。まぁ、政府・東電のような悪意は無いのであろうが信頼感は零。
戸河内ICまで高速道で行き、内黒峠を越え二軒小屋へ駐車して9時過ぎに出発。
今回は訓練の為に無駄に荷物を背負ったが、水越峠までのさして傾斜のない十方山林道を、40分間位歩いただけでよれって、2Lの水を同行者に託す。背部の荷物が2Kg減って結構軽い気分になるのだから、腹部のメタボ成分を相当量除けば・・。
水越峠から旧羅漢に向かう。途中眺めは全く無く、植林杉の倒木が多い。
水越峠から1時間位登って、サラサドウダンツツジが現れる。尾根道に上がれば、赤色が強いものから白色に近いものまで色のバリエーションは多く、花のトンネルだ。
12時近くに旧羅漢山へ到着し、大岩の上から下を見たらオオヤマレンゲの花が見える。恐羅漢の方から集団の人がどんどんとやって来るが、下で車を見かけたクベェーレ吉和の団体の方のようだ。狭い山頂の空間は昼食を摂る人でいっぱいになる。
恐羅漢へ向かう。ここの縦走路にもドウダンは結構あるが、旧羅漢までの花トンネルを通った後では感動は薄い。縦走路は尾根道ではあるが水はけは悪く、前日までの雨の為か細長い湿原のようだ。途中の2か所の小池にはモリアオガエルの卵がぶら下がっている。
恐羅漢山頂で昼食を摂る。1時過ぎで団体の人が帰った後は貸切だ。
帰路はスキー場のゲレンデを下る。花畑だ。アサギマダラを一つ見る
牛小屋高原から二軒小屋まで舗装路で結構距離が有るが、道中にウドやフキがあってお土産があった。






11/06/07 黒滝山・白滝山 g712
6月4日、黒滝山・白滝山に4人で登る。
山陽道から国道185号を通り、迷いながらもJR呉線の忠海駅の先から駐車地のさくら堂へ。堂と名が付いているので宗教的な建築物かと思っていたが、バイオトイレが併設された休息所だった。ここに黒滝山ので説明板があり、ミニ西国33カ所めぐりの起点でもある。
登り始めてすぐに自然石に彫られた仏さんが何体もあり、乃木将軍腰掛の岩、幸福の鳥居くぐりと続く。私たちは全員くぐれた、私も見た目よりはスリム体なのだ、他の方は扁平体か、くぐれない豊満・メタボ体の人はかわいそうだなぁ、幸福になれない。
観音堂へお参りし鐘を突き、石鎚神社の鎖を上りすぐに黒滝山の山頂に着く。
ここからゆるやかな自然林を下り車道へ出て左に登り、駐車場を経て龍泉寺から白滝山山頂へ。八畳岩に上れば360度の展望だ。
八畳岩には立派な磨崖仏が彫られ、数体の立体像も有る、龍泉寺に引き返し展望台へ。
昼食後異なるルートを下山する。
帰路、竹原の街並み保存地区を見物し、糀アイス最中、和蕎麦を食べ竹鶴の蔵元で試飲をしっかりとする。

乃木将軍閣下 幸せ掴んだ 鎖を掴んだ
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11/05/26 五里山 g711
5月25日、3人で五里山へ行く。吉和の中津谷の国道443号線を通る、新緑で心地よい。8時20分頃島根県との県境の御境に着く。県境には「落石の為全面通行止め」の看板があり鎖が張ってある。登山支度をしていると1人乗った車が来て、広美山へ登りたいがと通行止めの情報を聞かれたが、知らぬと答弁すると、鎖は外れるのでまぁ行ってみようと、匹見へ向かって行かれた。
出発して少しで高圧線鉄塔に着く、標高は980m位か。
9時にここからスタートとする。いきなり笹・灌木の藪で以後一歩たりとも障害物は無いという状況はなく、もうひたすら藪である、棘木が少ないのが救いだ、新緑はきれいだが花は全く無い。県境尾根を進むが、尾根幅が広く道は全く無いので、所々に色あせた赤テープが巻いてある所をトレースする。ルートは平坦で登るという行動はほとんどなく、藪漕ぎのみに体力は費やす。
11時20分、1064峰に着くがほとんど平らな地形で、木にテープが巻かれているのが目印くらいだが、ちょっと離れた場所で同行の三角点探索マニアの方が、藪の中から地上に10cm位出ていた三角点風石柱を発見する。
五里山は5里の長さの連山と言われているが、先に進んでもずっと藪漕ぎみたいなので、1里も来ていないこの地点から引き返す。
昼食を摂りたいが座る個所も無く、ハエがもの凄く多いので、木にすがって立ち食いする。
2時40分、駐車地に帰着し帰り支度をしていると、島根県側から車の音がして朝出会った人だった、少し時間がずれていれば出会うことは無かった、運命的出会いを感じ少しお話をし、淡々と分かれる。広美林道まで問題なく行けたそうだ。
帰路に八郎林道を通ってお化け杉を見に行く。
帰宅後風呂に入ると足がひりひりする、脛に傷持つ身になっちまったぜ。
ここは積雪期に来ると、まだ先まで足を延ばせそうだな、藪も関係ないしハエもいないし。

笹藪 ブッシュ
三角点風石柱発見 立ち食い行儀悪し 蠅男





11/05/23 窓ヶ山 g710
5月21日、窓ヶ山へ、今月は3回目だ、5日、13日とお目当てのベニドウダンツツジの見頃ではなかった、もう意地でも見るのである。
13日は「広島市の山を歩く」本のA‐1コースを登り、コースと経過に多少問題はあったが結果オーライだった。
今回は地図上の鎖線のAコースを2人と登ることに。段々と同行者が若くなってくる。
[ 広島市の山を歩く ]地図
A地点を9時10分出発、山頂はガスで見えない。朝方雨が降ったので、すぐにパンツが濡れる。Lから滝を横切り尾根を登って前回と同じくSを経て、T地点へ行くつもりだったが、尾根から右の沢(S)に下る部分に小さい標識が有るが、尾根中央を進んでいるつもりが段々と左に寄ってしまったのか見逃して、西コースのD地点の近くに出てしまった。昨夜の食事内容が分からない認知度である、一週間前に通った道など覚えている訳がないのである。
DからTまでトラバースする、道は有るが倒木で何度か迂回してT地点に着く。遠回りだったが目的コースの中継点には着いた。TからU地点へ向かう、ガイド本の文章通り滑りやすく、枯葉の堆積した斜面で同行者が何度が滑り落ちるが、まぁ安全な所なのであまり気にしないのだ、Uのすぐ先から隣のキレット谷を登るが、ガイド文では右寄りのくぼみをと有るが特定できず、右上へ右上へとあまり掴まる物もない急登の小尾根を登ると、大岩が立ちはだかり、灌木藪を右に回り込む、見通しが悪いのでこのようなケースが数回出現し、落石も何度もする、最後の岩壁の下にステンレスの梯子が有った。ここを登りきると十畳岩の東側だった、最後の岩は十畳岩の下部で落ちていた梯子は、いつ頃無くなったのか十畳岩の上に登る梯子だったのだ。誰がどのようなの目的でやった行為か知らないけど、そういう人もいるのであろう。
まぁしかし相当に目的のGキレットより東へ流れてしまったものだ。予定では11時30分頃には東峰に着く予定だったが1時になった。読解力が無いと苦労するなぁ。
帽子から靴・ザックにいたるまでまで全て、濡れた上に土・ゴミが付きどろどろである。
昼食後西峰に向かう、縦走路のベニドウダンは量的には以前より少ないよう感じたが、ほぼ満開だった。
まぁ登る経過はともかく、満開のドウダンを見るという意地は果たした。

滑り落ちた 上がった 又、滑り落ちた
又、上がった 又々、笑うしかない 藪に絡まった





11/05/16 窓ヶ山 g709
窓ヶ山に5月5日に、登った時にベニドウダンツツジは、ほんの少ししか咲いていなかった。あれから10日目。今年は冬が長く、全ての花の咲く時期が遅いが、もうさすがに咲いているだろうと思い、5月14日に2人でお花見に行く。
今回は「広島市の山を歩く」ガイド本のA−1コースを登ることに。
文章に「このコースは危険個所があるので、自信のない人は絶対に入らぬこと」、「この本は山のコースを紹介しているが、それがあなたの安全を保障したものではない」などと恐ろしいことが記述してある。自信も安全の保証もないが、本に記載の地図・コースを文章の通りにたどってみることにするが、書かれた時期と現況との違いもあろう。
[ 広島市の山を歩く ]地図
A地点を出発9時過ぎに出発、N(標有)からM(標有)へ、MーL(標有)は全て川の左を抜けるとあるが、左右に何度も渡る。川や数個ある滝は先には水量は少なかったが先日来の豪雨で結構多い。
L標識の少し上から長い滝の中段に下り、滝を横切る(3m強幅位だったかな)。ここから文章・地図は沢沿いコースになっているが倒木が多くとても通れず、赤テープが巻いてある左尾根を登る。記述の滝は見ることなく、一旦下ってS(標有)に出て、沢(1m強幅)を渡って中尾根を登る。赤テープが有り、尾根幅は狭く外す心配はないが超急登だ。2足だけでは絶対に上がれず、四駆モードで木につかまりながら登りT(標有)へ着く。ここは前回東コースK点から西コースD点まで横断したルート上だ。さらに上方に進む。下の岩が見えるが超急登藪なので抜ける個所が分かり難い。この付近はテープが殆んど無い、ここを抜けて上の岩城と記述された所に着く。横に長い岩壁だ。「上へ上る」の小さいプレートが掛けて有るが、この地点が分かり難く暫らく検討するが、木が生えている所を強引に掴まって体を持ち上げると目の先に「右トンネルへ」のプレートが有った、岩には私のようなスリムなLサイズの体型の人しか通過できないようなトンネルが有り、ザックを外して通り抜けると、劇的に展望が開ける。ここからは道が付いていて縦走路に出るとF「遠藤小祠」説明板の個所だった。
「広島市の山を歩く」本の「はじめに」に「道のないコースも紹介する」とあるがLからFまではコースともいえないような気がするが、私的には相当面白かった。
「この本を参考に山に行かれて万が一いかなる事態が発生しても、一切責任は負いません」とあるが、まぁそれはそうだな。本を読んだり映画を見て、犯罪の手口を知って実行されても、著者や監督・製作会社が責任を問われてもたまらんからなぁ。
西峰から東峰への縦走路のベニドウダンは期待に反して5分咲きにも至っていなかった。
どのガイド本でも文章どうりに進むのは結構難しいものだ、書かれた時から時間が経過すれば崩落とかで状況が変化してくるし、読者の読解能力の問題もあるし。滝の記述も水量次第で滝になったり涸れ沢になったりし、このコースのガイド文で言えば下の岩とか中の岩とか列岩、岩城と言っても上空から見る訳ではなく、文中のそれに相当するのか、立木・藪の中から一部分だけしか見えないので近づいてみないと、それが単に岩なのか横長の岩壁なのか、登れる・抜けれる個所があるのか、さらにその先の見通しというものが分かり難い。地図には見通しの良さとか岩の形状は書いてないからなぁ。






11/05/09 寂地山・額々山・後冠山 g708
5月8日、ゴールデンウィークの最終日だ。4人で寂地山へカタクリの花を見に行く。冠高原に駐車し9時20分に松の木峠から出発。朝から暑いくらいの天気で、前日に結構雨が降ったので足元が心配だったが何の問題もない。下は若葉の新緑で登るに従い白っぽくなる。冠山分岐の手前からカタクリ・ミヤマカタバミ・エンレイソウが現れ始め、目を楽しませてくれる。ほぼ満開状態だ。分岐から寂地山に向かうと蕾状態も結構ある。芽吹いていない木々が多い。11時20分頃山頂に着くと結構な数の人が昼食を摂っている、少し下がった所で昼食を摂り、額々山に向かう。冠山への縦走路から15分と標識が有るが、この冬の積雪の多さの為か途中から折れた杉の倒木や、雪の重みで抑えられた低木が道を遮り、迂回しながらテープの目印を辿るので山頂まで結構時間が掛かる。縦走路までピストンし、下山路の途中から後冠山へピストンするが、こちらも額々山同様の道の状況だ。帰路は朝方よりもカタクリはさらに開いている。5時前に松の木峠に着くが陽が長くなりまだ相当に明るい。






11/05/09 窓ヶ山 g708
5月5日、子供の日で祝日だが私の親はプレゼントもくれず、どこにも遊びに連れて行ってくれないので、一人で窓ヶ山にベニドウダンツツジの咲き具合を見に行く。魚切の登山口で偶然に知人と出会う。私は西コースをピストンする予定で、知人は砂防ダムのすぐ先で分岐する川沿いを右に行く予定だったが、間をとって東コースを登る。このコースは何年か前までは水害の為に通行止めだったが問題なく通れる。山頂尾根まで7合目位から左に山林の官民境界杭をたどり西コースへ向かってトラバースする。道らしきは100m位で後はずっと岩界・藪の道無き斜面を進み1時間弱で西コースの7合目標識に出る。西峰から東峰に向かう、ベニドウダンの最盛期には縦走路には花のトンネルができるが、まだ一分咲き位。東峰から東コースを下り、登山口へ2時半帰着。






11/05/04 岩淵山・感応山 g707
4月30日、5人で湯来の岩淵山へ。車1台を湯の山に置き、石ヶ谷峡入口の丸小山公園へ駐車し9時に出発。
林道を進む、道中にはイカリソウが咲いている。観音堂の登山口から山道へ、コシアブラが結構多く、採取するので歩は進まない、イワカガミガが咲いているのを見ながら岩場に着く。ここは昨年の12月以来3度目だが、最初の時は結構怖い思いをしたが、2度目の時はまぁまぁゆとりがあったので、命を託す鎖・ロープ・松の枝・根っ子をじっくり観察したら、これはこれで相当な恐怖感を持ったな。3度目の今回はもう人生を達観しているので、怖さを楽しむという心境だね。合計300kgの重量が通過しても、昭和20年代設置の(推定)鎖・ロープは大丈夫のようであったが、後65人通過した時点でブチッ!(まぁ根拠はないが)
岩場を通過し最初のピークで昼食。ここのルートは岩場がメインイベントであるが、ここからが長いのだ、10数個のピークを延々と行くのだ。もう、飽きるのである。三角点があるピークか、誰かの登頂碑が有る所か、どこが山頂がよく分からないが、最後のピークから湯の山に下る部分に登頂碑が2ヶ有ったのが、はずされていたが、まぁこの地点は明らかに間違っていると思うけど。
感応山を経て湯の山温泉に下り、車を回収

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11/04/23 吉野山縦走 青根ガ峰登頂と葛城山  kyco
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生まれけん。
一度は見たいと思っていた吉野の千本桜見物を兼ねた登山【吉野山縦走 青根が峰登頂と葛城山】へ、2人で参加しました。34人の団体で、女性は8割位。 
4月16日、バスで広島を出発し高速道を葛城ICで降り12時30分に登山口着。標高400mの青崩(アオゲ)登山口から登りはじめる。
周囲は、さすが吉野杉の本場、ほとんどがスギ・ヒノキの植樹林帯。
沢沿いの急坂だったり、平らな植林帯だったりで、眺望はきかない。未だ、早いショウジョウバカマが群生している。
曇り空を1時間40分、959.7mの葛城山山頂へ到着。山頂は広い草原になっていて埋まった2等三角点があり、晴れていれば東側には明日香村の三輪山・畝傍山・天の香具山の三山が見えたはずだが・・・。
水越峠をはさんで金剛山は、大きく見える。2時30分、下山開始、すぐのところにサツキツツジの大群落がある。まだカタクリも咲いていない状況で、サツキも早すぎる。下山後、橿原の宿へ。

4/17、快晴で絶好の花見日和。とにかく混む前に行動しよう作戦で7時宿を出発。車中で朝食を摂り、7時40分下千本駐車場へ。まだ、あまり車も停まっていない。
黒門・胴のの鳥居をくぐって、金峯山寺・国宝の蔵王堂へ。役の行者がご神木を桜にしたことが吉野山の千本桜の始まりだそうで、下千本は、散り始めもあり、中千本が満、開上千本が5分、奥千本がつぼみである。
水分神社・金峯神社参拝し、女人禁制の結界の碑を経て吉野最高峰の青根ガ峰858mへ、このあたりで桜が見えなくなる。ここから少し下った辺りで昼食後、下山開始。うば坂・じじ坂(今回の参加者の為に付けられたような名称だ)の急坂を過ぎ、蜻蛉の滝を回り 、降り着いた西河に見事なしだれ桜の公園があった。
吉野の桜がよいのは、歴史のある建造物が点在し、それらを囲むかのようにシロヤマザクラが白く、葉っぱのほんのりとした赤と、広がって、下から中、上、奥を立体的に駆け上がっていく。長い歴史と大きな地理的背景がすばらしい。
桜に始まり、桜に終わった吉野の1日でした。山陽自動車道福山辺りで、満月が出てきて、思わず「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」という西行の歌が、ぴったりのエピローグでした。





11/04/20 福智山・久留米つつじマーチ g706
4月16日 福智山
高速道を小倉南ICで降り、鱒淵ダムの堰堤近くに駐車し、8時40分出発。堰堤を通りダムに架かる赤い吊橋を渡り、ダム沿いの道を通り
ホッテ谷登山口へ着く。ここから九州自然歩道になっていて平成21年8月の土砂崩れで通行禁止の張り紙が有るが、ここで出会った方が何の問題も無いと言われるので、速やかに進行し沢沿いの道を登る。急登は全くなく、山頂近くになると大きな岩がたくさん現れる。11時20分山頂に着く。晴れ一つ無い日本曇りで全く展望は無い。山頂で昼食を摂るが寒い、人は結構いて40〜50人位見たか。
下山は七重の滝へ下る。山頂から少しで避難小屋が有り、外にバイオトイレが有り、中で数人が食事を摂っていて電気が点いていたが、屋根にソーラーパネルが設置してあったが、すごいものだな。
ホッテ谷新道への分岐のからす落を経て、尺岳との分岐の豊前越から右に下る。かなり下って滝が現れ始める、それぞれに七の滝、四の滝と標識が有る。ガイドブックには水害で橋も流され、荒れて歩き難いとあったが、ごく最近整備され真新しい橋も架かっていた。3時20分駐車地に帰着。
山頂の祠 山頂 七の滝



4月17日 久留米つつじマーチ
久留米つつじマーチの20kmコースに参加する。つつじマーチの名称だがまだ咲いていないし、久留米といいつつコースの半分は佐賀県内だ。
ウォーキング大会も東日本大震災で中止になる所が多い、出発式は黙祷から始まる。今回の大会は内容を一部見直し「東日本復興支援ウォーク」にするとあったが、今回で3回目の参加だが、従来との違いは分からなかった。ストレッチダンスをし8時30分に出発。始めは町中を通るがコースの作り方がよいのか、ほとんど信号は通らない。10kmにならないうちから足の平が痛くなり始めた、これはちょっとまずい展開だ。ウォーキング大会はタイムを競う競技ではないが、マイペースで歩く歩くようなものではない。コースの途中には神社や坂本繁二郎生家、青木繁旧居、月星靴の歴史館、蔵元などが有るが、のんびりと見るようなゆとりはない。
この大会は結構大きな規模で、会場には靴メーカーや地域の産品販売や救護などのテントが多い。途中にも接待所があり、お茶や飴、味噌汁、おにぎりなどを頂く。目標タイムを大きく過ぎて会場に帰ると、ウォーキング大会御用達の歌手の泉ゆかりのショーをやっていた。
予定では美術館も見つつ、食文化もというつもりだったが、へろへろで美術館はパス、久留米ラーメン店は行列だったのでパス。文化には縁がないか。
一面麦畑 水天宮 ご〜〜る





11/04/11 高山 g705
4月11日、佐伯区石内の高山へ登る。聞きなれない山名だけど窓ヶ山の東隣に有る向山のことで、麓の石内地区では高山と呼ばれている。
石内公民館の活動で高山のガイドブックを作成されたスタッフの方とかと一緒に、12名で登る。
ガイドブックは小冊子ながらなかなかの大作で、「いしうちのたかやま」のタイトルで登山ルート・四季の植物等が掲載されている。
向山には何度か行ったが全て窓ヶ山から縦走し笹利へ下っていたが、今回は単独に神原から登る、初めて通る道はどこでもではあるが、何かを期待したくなる。
梶毛ダムの公園近くに駐車し梶毛川沿いを進み、9時頃広島県天然記念物の神原のシダレザクラへ着く、時間が早いのであまり人はいない。すぐ先から山中に10分ばかり進んで沢を横切り、ラフな道を登る。途中に大谷(オオエキ)の滝が有るがこの時期の水量は少ない。
10時、佐伯区と安佐南区の境の尾根に出て一息、眼下に西風新都が見える。うっそうとした境界尾根を進むと大きなヤマザクラが有るが、未だ花は付けていない。
11時に山頂へ着く、展望は全く無く、近くの「奥原の岩場」へ移動すると、瀬戸内海側の展望が開ける。
眺望後下り、固目ヶ岳(カタメガダケ)の岩場で昼食を摂り、下山は途中の「源氏大休みの壇」と呼ばれる源平伝説の地を通り、1時30分神原シダレザクラに下る。
シダレザクラにはたくさんの方が見物に来ていて、篠笛の演奏をしている。休息する場所もあり、地元女性会が抹茶・コーヒーの提供をしていて、収益金は東北関東大震災へ義援するとあった。






11/04/05 宗箇山 g704
4月3日は町内会の花見だった。東日本の方々の事を思えば気が引けるのであるが、しかし非被災地が消費を自粛すれば被災地の復興はさらに停滞する。
4月2日、三滝の宗箇山へ2人で行く。三瀧寺は60数年前の原爆投下時に被災を免れ、救護所が設けられたが、現在のような医薬品、放射能に対する知識も医療体制も無い時代に、被爆者は何の治療も受けられることなく、たくさんの方が亡くなられた地である。境内には原爆被災者の供養塔や慰霊碑が沢山ある。
現在進行形で、福島県の原発が事故で破壊され放射能をまき散らし、地元の方は地震・津波の被害の上に放射能汚染からも逃れるべく、劣悪な環境で避難生活を送っていられ、事故現場では何人もの作業員の方が被曝されている。
全世界で悲惨な姿が報道されているが、日本はこのような形でしか放射能・核の恐ろしさを世界に発信できないのであろうか。いかに政治力が貧しいかということだな。
地蔵・石像・仁王像や滝を見つつのんびりと境内を進み、きれいに整備された竹林へ入る。地面は猪が耕しまくっていて、タケノコの皮も少々散らばっている。急登も無く山頂へ着く、霞んではいるが眼下に広島市の中心部が見えるが原爆被災時には、今の東北沿岸部と同じような光景だったのだろう。山頂でのんびりと休息してる間にも何人もの人が登ってくる。Bコースを下り三瀧寺へ帰着し帰宅。

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11/03/30 白木山 g703
3月27日、6人で白木山へ。白木山駅付近に車を置いて出発する、結構な数の車が駐車している。9時30分頃登山口から少し先で、もう降りてくる親子連れに出会うが、何時ころから登ったのだろうか。
道中にはおそろいの赤いウェアのお地蔵さんがかなりいられるが、なかには普通に石にしか見えないものもあるが、本当にお地蔵さんなのか、誰かがそれっぽく置いたのかな、などと罰当たりな事を思ったりするのだ。
前夜雪が降ったからか道はどろどろずるずるだ。中腹位から道の側は薄らと積雪。
山頂には福寿草の花が咲いているが、東北関東地方の被災者の方たちにも、早く福も寿も来るよう願う。
山頂はかなり人がいて昼食中にも何人も登って来る。食事中には小雪も舞ってすごく寒い。
下山は福永八幡宮に下るルートを取る。初めて通るがガイドブックと標識をよく見れば迷うことはない。山頂からの尾根は積雪だ。尾根から下る付近から木が伐採してあり、ルートは新しく付けられた林道を何か所も横切るが、工事でかなり荒れている。工事区間を過ぎた個所にチラシが有り、17日前までは登山禁止だった。ここから少し下ってから恐ろしく急下りになる、ロープが張ってあるが枯葉の堆積も有ってすごく寒い、ロープとの摩擦で手袋から煙が出る、一人平均4回は転倒し重体1名、重症2名、軽傷2名、火傷1名。急坂を過ぎて羊歯藪道を通り抜け、福永八幡宮へ着く。八幡宮の本殿前に明治時代の大砲の砲弾が奉納してあったが、私の感覚ではどうも神様と戦争はバッドマッチだと思うけど、現実には宗教は昔から今に至るまで戦争の大きな原因だ。
昨今の大災害の前では神仏・宗教の影が薄い様に思うが、神仏の出番は最悪の状態が収まった後からなのか。全ての人が幸せな状態を持続して感じられるような全能の神はいないものか。

お地蔵さん?お岩さん? 福寿草 尾根雪道
林道新設 転倒1秒前 福永八幡宮/砲弾




11/03/13 小田山 g702
3月13日、4人で小田山へ。10数年前に登った時は登山口はイラスケという変わった名前のバス停付近で、この近くに駐車した覚えがあるがバス停が見当たらず、行き過ぎた上に引き返し過ぎた。バス路線は廃止されていたのだった。下から見ればきれいな形状をしているが、道中は変哲もない植林山で道は整備されている。中腹に前回は無かった林道ができていた。山頂を経て展望岩で昼食。食事中に6〜7人のグループが来る。
帰路は笹ヶ峠に下りイラスケの駐車地へ帰る。
下山後に時間のゆとりが有るので、熊野の「筆の里」に立ち寄る、片岡鶴太郎の絵画展が催されていて、私は特には興味がなかったのだが他の3人が見学するので、私も文化人のふりをするために見学する。
熊野町へ来るのは何年振りか、以前に来た時は茅葺屋根の家が結構あったように思うが、今回は見かけなかったな。

イラスケイラスケイラスケ




11/03/07 玖波行者山 g701
飲酒運追放の為の「ハンドルキーパー運動」というものがあるが、私は自分がドライバーをしないなら、全面的に趣旨に賛同するものである。
3月5日、大竹行者山へ車2台、6人で行く。今日は登山目的というよりは行及び食事重視である。
9時30分、大歳神社へ参拝して出発し、石鎚神社神田山教会に着き参拝する。
四国の石鎚山には行の為の鎖場が有るが、規模は違うがここの行者山にも険しい鎖場が有る。
ガイドブックにも、行者山登山した人のホームページにも、ここの鎖は行をする人以外は登ってはいけないと記述があるが、どこからその様な風説が流れ出したのか。鎖の前にしめ縄が張ってあるが、これを結界として立ち入るなということであろうか。
山口県の石鎚神社のある莇ヶ岳でも、四国の石鎚山でも鎖を登る人を拒むことはなく、石鎚本社でも、ここの神田山教会の説明板にも誰をも拒むというような事は書いてない。
石鎚本教の教義への一片の賛意でも持って登山すれば、それは行と言えるのではないか。
神・仏は来る者を拒まないのである。まぁ、私はビビリなので巻道を行くのであった
しかし行とはいえ三の鎖を登るのは、行と言うより拷問だろうなぁ。
鎖場を過ぎて尾根に着き、少し先に進んで頂上社に着き参拝し、これにて行は終了。
頂上社から数十秒登った先の行者山三角点を経て玖波槍に向かう。玖波槍は行者山からは結構ピーク感のあるような山に見えるが、近寄れば傘山への縦走路からは、わずか3mの標高差。
行者山まで引き返し昼食を摂る。
鍋も有る、フライパンも有る、食材も有る(なぜか鍋材としてピーナツを持って来た人もいた)、酒も有る、ハンドルキーパーもいる、厳しい行を終えた満足感も有る、食も進む。
下山は西山社への道を下る。こちらへの道は8年ぶりで、途中に何か所もの祠や行者堂が有るがすっかり忘れてしまっているな。行で頭脳の働きが良くならないものか、ここの行者堂へ1ヶ月位籠れば・・・。
登山時には結構ザックが重かったが、山頂で相当軽くなったはずであるが、下山時にあまり軽いとは感じなかったけど、背中が軽くなった分、腹が重くなったのか。

槍先でおらぶ人 spランチ 先達さん




11/03/01 鉾取山・原山・洞所山 g700
昨今は山ガールとか出現して、釣られて若男も山に登り、登山平均年齢が下がったかのように思えるが、しかしこれは知名度が有る山に限ったことだと思うな。「広島百山」本の1割にも満たないと思う、他はやはり中高年の山であろう(たまに山ガール風ファッションの中高年女が、見た目だけ平均年齢を下げていることもある)。しかし今日の山はとんでもなく平均年齢は低かった。
2月26日、3人で海田町の鉾取山から洞所山への縦走へ行く。車1台を海田総合公園に置く、設備の整った大きな立派な公園だ、さぞかし財政が裕福なのであろう、私の住む貧市では・・・。
駐車場は有料で出る時に管理棟で200円で購入したコインを機械に入れてゲートが開くという何とも面倒なシステムだ。
ここから他の1台で芸備線の中野東駅からの登山口へ向かうが、団地の中を通り抜けるので道が分かり難く、バイパス工事中で登山口も仮になっている。
9時出発する、登山道は猪が耕しまくっている。坂山との分岐尾根で休憩中に2名の人が来て先に行く。
10時30分頃鉾取山頂に着く。すぐに地元の小学生の数十名位の団体が元気にやって来て賑やかになる。
私が尋常小学校に在校の折には戦時中で鍛錬で山に登らされたが、こんなに明るい雰囲気はなかった。
現在の日本では政治家は馬鹿で官僚は悪党でも独裁者はいないので、中東・アフリカのように内乱は無く、まぁ一応平和である。
山頂からきれいに整備された道を通り、眺めの良いピークを経て舗装路に出て、原山へ。
原山頂のドコモの電波塔の下で昼食を摂り、洞所山へ。
山頂から新峠を経て総合公園へ下山の予定だったが、どこで迷ったかガイドブックに記されていない道を下ってしまったが、結果的に合流したので、のおぷろぶれむ。

平均年齢すごく上げた人々、下げた人々 寒椿なのか暖椿なのか
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11/02/23 文嘉嵩山 g699
2月20日、山口県大島の文殊山から嵩山までの縦走に行く。前週の予定だったが大寒波・大雪の為に順延した計画だ。
5人・車2台で出発、嵩山山頂の公園駐車場に1台置くつもりだったが、道路に積雪が有りスリップするので手前の岩屋権現の駐車場へ停めて、他の1台で文殊山登山口に向かう。駐車場には結構車が置いてある。
文殊堂境内でザックを降ろし支度を整えていると、文殊堂の整備か清掃に来ていた人の軽トラックにザックを踏まれた、幸先は悪い。
三人寄れば文殊の知恵というが今日は5人だ、さらに良いように思うが、このメンバーで文殊菩薩以上なら文殊はどれほど低レベルなんだか。
雪の残る階段道を登り文殊山到着、結構な数の人がいる。03年以来だが展望台も建て替わり、車道もできていてずいぶん変わっている。
休息後嘉納山へ向かう。瀬戸内の島なので雪道など想定していなかったのに、木陰では結構残雪が有るのに驚く。
嘉納山頂で昼食を摂る。すぐに10数人の団体が来て、鍋料理で結構にぎやかだ。弁当箱を開くと小さい虫がたかり、ゴマを振ったようだ、まぁ新鮮なタンパク質だと思えば食べられないこともない。食後に同行の方が点てた抹茶をいただく、我々は風雅なのである。
源明山ピストンも予定に入っていたが、時間を考えすみやかにパスし嵩山へ。
2時30分頃嵩山へ到着。ここは初めてだが1番風景がよろしい。南に雪のある山脈が見えるが四国なんだろうな。
軍用機と思われる飛行物体が何度も低空で旋回する。
パラグライダーの飛び降り台が2か所設置してあるが、先の方は斜めでちょっと立ってみる気にはならない。
車道を通って駐車地まで帰り、岩屋観音へお参りする、火山噴出大岩の下に祀られている。
文殊堂の車を回収し帰路へ。

思いがけない雪道 離陸 即 昇天 岩屋権現




11/02/08 宮島 g698
2月6日、先週に引き続き3人で宮島へ。
8時30分頃の船に乗るが、登山者はあまりいなくて観光の団体が多い。
大聖院ルートを登る、このルートは台風の土石流で不通になって復旧後2回目だが、弥山・駒ヶ林分岐の仁王門跡まで全て石の階段で、あまり通りたくは無い道だが、今日の予定の奥の院の先の502 峰へ登るのに最短ルートなのである。
大聖院から白糸の滝を通るが、水流は全くなくて単なる岩の壁。途中の岩に何か所も氷が付着して氷河になっているが、宮島でこういう光景は初めてだ。
仁王門跡から奥ノ院へ向かう。
502峰は06年に岩舟岳からの帰路に気まぐれで登って奥の院に降りたが、すごく藪っていたように思うが、今回奥ノ院から登って先峠に下ったがきれいに整備されテープもしっかりと巻かれている。先週も思ったがもう宮島に登山に来るのに地図は必要ないね。マイナーなルートまで
きっちりと整備されているからね。しかし少しは藪漕ぎがあり、探索する楽しみも欲しいものだ。
先峠から多々良林道に下り、前峠に向かい途中の日当たりのよい羊歯の上で昼食を取る。先週は恐ろしく寒かったが今日は今年の最高気温だ。
先週もだが、同行の人が今回も結構な酒を工芸品風な猪口と共に持ってこられ美味しく頂く。この方はこの行ないにより同行者に選びたい人のランキング No.1。登山においては邪道であろうこのような行為を、今後も末永く続けるよう切に希望する(尚、夏場はビールにするようにね)。
昼食後、前峠から焼山へ。焼山は20年位前に火事になったが、植生も復活している。登りは結構時間がかかるが、弥山大元公園ルート道まではすぐだ。降りた所からすぐに駒ヶ林に登る。
前峠から駒ヶ林までの道はほとんど自然の地形で、人工的な個所は少なく真に結構。
駒ヶ林から多宝塔ルートを下る、馬酔木が数本咲いていた。干潮だったので鳥居前の干潟を渡り、もみじ饅頭購入の為に商店街を通るが、救急車が入って来て土産店の前に止まったが、初めて見た。

氷と花/寒いんだか暖かいんだか 美味水





11/02/02  先峠山・三ツ丸子山・大江山 g697
1月30日、5人で宮島へ。朝起きると2mmの積雪。8時30分に宮島口へ集合し連絡船で向かう。海岸はものすごく寒く零度。宮島の山にはほとんど雪が見えないが、本土の経小屋山・のうが高原は白く、極楽寺山の上の方は降っているようだ。
大元公園から岩舟岳ルートを通り前峠へ。ここの乗越手前に倒木ジャングルジムがあったけど、迂回路を通って見なかったのか誰かが整備して無くなったのか、結構面白スポットだけど無くなったとしたら真に残念

前峠から多々良林道へ向かう、ここは11ヶ月ぶりに通るが以前に比べ羊歯が繁ってきているような気がする。
多々良林道から先峠へ登り、先峠山を経て三ツ丸子山で昼食。晴れてきて気温は4度位、うどん用の湯を沸かすけど非冬用のガスを持ってきたので気化しないのか、えらく時間が掛かり、昼酌も進んで1時間近くも休憩することになった。
三ツ丸子山先の小ピークから大江山へ向かうつもりが、他の道に下り5分位で迷ったのに気づき引き返す。ここは1年10ヶ月ぶりだが先には無かったような気がするが、割と最近に開かれた道なのだろうか。
広大植物園への分岐点から大江山へ登り、すぐ先の展望台へ行く、眼下に輪型の干潟が有り、見たことなかったが、新しくできたのか今までも有ったのが潮加減で見えなかったのか。
分岐へ戻り植物園へ向け枯葉が堆積した急坂を下る。難路では転倒しなかったが平地になって思い切りこけた、こけた所が湿地。ゴールが近くなって集中力が無くなったのか。
来る途中で私だけ寺へお参りして旅の安全を祈ったのに、心がこもっていなかったのかな、仏に見放されたか、信頼感が薄れた・・・。
植物園内の室浜砲台跡を見学する、戦国時代の碑や戦争の遺跡などはは裏宮島というらしいね。そうすると神の島や観光地のイメージが表宮島か。人間は裏表がある人は信用されないようだけど・・。ところでもみじ饅頭には裏表があったかな。
植物園から桟橋まで海岸線を5km位歩くが、まぁ寒いわ。

足元に注意すれば道に迷うし、先を見ればつまづいて転倒する、天は二物を与えずだな(ちょっと意味が違うか)

何の標識か? 海中廊下




11/02/02 大峰山 g696
霧島山の新燃岳が噴火して長期化するようで地元の人は大変だなぁ。昨年9月に霧島山・高千穂峰に登ったが、その時は新燃岳は立入禁止で韓国岳から新燃岳の手前の獅子戸岳まで行き引き返したが、現在は新燃岳は当然のことながら韓国岳も周辺の山も入山禁止になっている。高千穂峰は神が天から降りた所だが物理的な災難には神様もかなわないか。

1月29日、大峰山へ登る。寒い日だが麓までの道路も駐車場にも雪は無い。9時40分頃駐車場に着き、すぐに3人連れが来て前後しながら山頂へ向かう。新雪はほとんど無く足が埋もれることは無い、曇っていて山頂からの展望は無く早々に下山。

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11/01/25 深入山 g695
1月22日、4人で深入山へ。現政権がマニフェスト無視で高速道が無料にならないので、一般道を通って行く。
途中のコンビニへ立ち寄り、質より量のワンカップを購入する、どうせ寒い中でそくそくと飲むのだから味は二の次、腹が温まればよいのだ。
湯来温泉から筒賀、戸河内と道路は凍ってバリンバリンのツルンツルンでアスファルトが露出しているほうが少ない。しかし単細胞な運転手にはうかつに話しかけてはいけない、運転への集中力が途切れて悲惨な事になるからね(決して今回の運転手が単細胞という意味では無い、こともないか)。
除雪してある個所は路肩に1m位の雪の壁で、民家は軒近くまで雪が積もっている。弁当・野菜売店で野菜を購入しようと思っていたが、半分雪に埋もれ営業していない、もっともこういう様な状況では畑から野菜が掘り出せる訳が無いな。
深入山麓のいこいの村に駐車する。長崎や西鉄のバスが5〜6台駐車している。近隣のスキー場へのツァーみたいだ。グループやスキーを担いだ人が登っている。決まったルートというものは無いので、誰も踏んでいない所を進む。体は寒くはないが、四重に手袋をしていても手の指先は冷たく、素敵な光景も多いので写真も撮りたいが、手袋を外すのがおっくうになる。予定では山頂を越えて下った所の東屋で食事の予定だったが、先客が多く場所が無いだろうから登頂後即下り大岩のそばで昼食。
下山中に大きな段差が分からず派手に前に転けるが、雪中の転倒もなかなか気持ちが良いものだ。

珍珍街道閉鎖 R191雪壁 いこいの村氷柱





11/01/11 大峰山 g694
1月10日、成人の日でおめでたい日だが、そうとう昔に成人になった私にはなんの祝福もない(まぁ当然であるが)、唯一良いことは親戚に成人がいないので祝い金を出さなくてよいこと。
沿岸部でも雪がちらつく寒い日だ。2人で近場の1000m山の大峰山に登る。久島分かれから川上の登山口まで道路は凍結しているが積雪は少なく、登山口の駐車場で5cm位か。一番乗りで今日の足跡は無いが、前日くらいの踏み跡があり積雪が堅めなので歩きやすい。7合目位から積雪が増え柔らかくなる、昨夜降ったものだろうか。
山頂は大岩の集合体で起伏が大きく空間もあるが、ここらで20cm強の積雪で足元の空間を踏み抜くと結構悲惨な事になるので、ストックで足元の確認をしながら進み岩の上に立つ、曇っていて眺望は無い。まだ新年の内なので山頂の下に有る祠の神様に参拝するため北側に下る。踏み跡は無く30〜40cm位の積雪でスノーシューを付けて向かうが、長いこと来たことが無いので場所も分からなくて少し行って引き返し、西大峰山方向へ向かい峰太郎ブナを見て引き返し下山する。
今日は2人組、単独3人と出会う。皆、食事も摂らず早々に下山するようだ。
この山は我が家からは割と近場で、登下山時間も短いので、雪が降るとつい思い立って行ける、結構な山なのだ。




11/01/07 初詣ウォーク g693
1月5日、広島ウォーキングクラブが一般の人を募集して「初詣ウォーク・二葉の里七福神めぐり」という催しに2人で参加する。お正月の過剰飲食・運動不足で体重が増えたので、幸いな企画だ。JR広島駅に集合しゼッケン・資料を頂くが、主催者が想定していた以上に集まったようで、遅く来た人はゼッケン等が無い。
10時30分にスタート。予定では神社・仏閣を巡り18kmの歩行で3時30分に平和公園に到着の予定だ。寄り道しながら昼食も摂り、5時間の予定は結構速いペースで歩くのかと思ったが、さほどの速さではない。参加者も歩くというよりは参拝という方向の方も多く、手提げバッグを持ったり、タウンコートを着たりというような格好の人もいる。
神・仏は凡俗の悩み・願望を万事聞いてくださるが、それでも専門性はあり特に神様は縁結びとか交通安全とかの得意分野があるようだ。
七福神では無いが最初はミソ地蔵で有名な才蔵寺へ参拝する。ここは受験生にご利益があるようだが、ぽっくり往生という刻まれた地蔵さんもおられる、達者でぽっくりと逝きたいものであるな。スタンプ帳に押印しながら聖光寺(布袋尊)・國前寺(大黒天)へ参拝し昼食後、尾長天満宮(寿老人)・広島東照宮(福禄寿)・鶴羽根神社(弁財天)・明星院(毘沙門天)・饒津神社(恵比寿天)と七福音を巡り、牛田の不動院へ参拝し12kmコースの人はここで散会し、18kmの人は太田川河川敷を通り平和公園まで歩き3時10分頃到着し完歩証を頂く、出発時の人数からがくっと減っていた。
元旦に相当数の社寺に参拝し、今回も9社寺に参拝した、もう今年は神仏の御加護で何の努力も無しで願望が叶うはずである。

福の神で有難いが、こういう体型にはちょっと・・・・ 
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