1962年(昭和37年)から廿日市町(現廿日市市)郷土文化研究会から発行されている「廿日市の文化」より極楽寺・極楽寺山関連の著作を抜粋して掲載しています。
縦書きの原文を横書きにし、年号・寸法の漢数字を算用数字に変えています。
著作の掲載については研究会代表の高本等氏の承諾を得ています。
著作の掲載を快諾いただき深く感謝いたします。

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廿日市の極楽寺本堂
極楽寺本堂の変遷
極楽寺山の植物相と植生
1973年5月発行の「廿日市の文化」第11・12集から近藤豊氏著の「廿日市の極楽寺本堂」、石田米考氏著の「極楽寺本堂の変遷」、関太郎氏著の「極楽寺山の植物相と植生」を掲載しています。関氏の文章は割愛した部分があります。




信仰の霊地・極楽寺
1971/01〜1980/12に「ふるさとの歴史探訪」と題して廿日市町広報に連載された石田米考氏著の文章を集録した1981年7月発行の「廿日市の文化」第13・14集から1編を抜粋して掲載しています。
長文の大作です。これを書いた人も偉いが、編集しなおした私もえらい(体が)。




廿日市の佛像
1985年3月発行の「廿日市の文化」第15集の「廿日市の佛像」から極楽寺関連分を抜粋して掲載しています。現在(2009年)とは本堂・境内共雰囲気が大きく変わっています。




行基にかかる伝説
極楽寺本堂の変遷
1981/01〜1987/12に「ふるさとの歴史探訪」と題して廿日市町広報に連載された石田米考氏著の文章を集録した1988年3月発行の「廿日市の文化」第16集から2編を抜粋して掲載しています。「極楽寺本堂の変遷」は第11・12集のものとタイトルは同じですが内容は変わっています




詩碑 折鶴観音建立の会
御詠歌 第七番上不見山極楽寺(真言宗高野山派)
御詠歌 第七九番上不見山浄土王院(真言宗高野山派)
1995年9月に発行された「廿日市の文化」第21集「廿日市のいしぶみ」から大島敦子さん著の「文芸碑をたずねて」(句碑・歌碑・詩碑・付御詠歌)から3編を抜粋して掲載してます。